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ヒト胚ゲノム編集の波紋

Credit: DLA4/ISTOCK/THINKSTOCK

最近の強力な遺伝子編集技術を使って、世界で初めてヒト胚の遺伝的改変を行ったことを、中国の研究チームが報告した。この論文1は、2015年4月18日に、北京に編集部のあるオープンアクセス学術誌Protein & Cellで発表されたが、研究者の間に驚きの声はなかった。しかしその後、ある議論が大きく沸き上がっている。どのような形の遺伝子編集研究ならば倫理的に問題がないのか、という議論である。今回の論文掲載からは、ヒト胚改変研究を発表する適切な方法についての疑問も浮かび上がってきた(「遺伝子編集は学術誌にとっても難題だ」参照)。

問題の論文では、中山大学(中国広東省広州市)の遺伝子機能研究者Junjiu Huang(黄軍就)の研究チームが、CRISPR/Cas9と呼ばれる扱いの容易な分子系を利用してヒト胚のDNAを切断し、そこに新しいDNAを導入して修復を試みたことを報告している。

この研究チームは、倫理上の懸念をあえて回避しようと、発生能力のない胚を不妊治療クリニックから入手して使った。これらの胚は、卵が2個の精子で受精したため出生に至ることができないものだった。

CRISPR/Cas9系を使う方法をはじめとする遺伝子編集技術は、今回の研究以前からすでに、ヒト成人細胞や動物の胚でDNA改変のために使われている。2015年に入って間もなく、この技術がヒト胚にも使われている、という噂が研究界を駆け巡った。だが噂では終わらなかった。ヒト胚改変を行ったという最初の論文が、Huangらにより報告されたのである。彼らがCRISPR/Cas9系を使って改変したのは、βサラセミアという致死的な血液疾患を引き起こす可能性のある遺伝子変異である。こうした処置を発生能力のある胚で行えば、深刻な遺伝疾患を出生前の段階で解消できるのではないかと考える研究者もいる。一方で、そうした研究は倫理的な一線を越えるものだと言う研究者もいる。例えば、ヒト胚のゲノム編集が行われているという噂を受けて、2015年3月に研究者らがNature2Science3で警鐘を鳴らした(Nature ダイジェスト2015年6月号25ページ参照)。胚に対する遺伝的改変(生殖系列の改変)は世代を超えて伝わる可能性があるため、将来の世代に予想外の影響を及ぼす恐れがあると警告したのだ。

研究者らはまた、どんな理由であれヒト胚での遺伝子編集研究が行われてしまえば、この技術がなし崩し的に利用されるようになり、安全性や倫理問題を考慮しない実施や、医療以外の目的での実施につながることも懸念していた。

重大な障害

Huangらは今回の研究で、遺伝子編集技術を臨床の場で使うにはいくつかの重大な障害があることが明らかになったと述べている。実験では、86個の受精卵にCRISPR/Cas9系を注入し、それと一緒に新しいDNAを加えるよう設計した他の複数の分子も注入した。次に、受精卵が8個ほどの細胞に分裂するまで48時間待った。86個の胚のうち71個の胚がまだ発生を続けており、そのうち54個の遺伝子検査を行った。すると、DNA切断に成功していたのは28個のみで、DNA切断部を修復するように設計された遺伝物質を含んでいたのはそのうちの4個だけであることが分かった。「我々が実験を停止した理由はそこにあります。我々は今でも、この技術が未熟すぎると考えています」とHuangは話す。

Huangらの実験では、驚くほど多数の「オフターゲット」変異(標的以外の部位に生じた望ましくない変異)も見つかった。これらの変異は、CRISPR/Cas9複合体系が標的以外のゲノム部位に働いたために導入されたものと考えられる。こうした意図しない変異は有害となる可能性があることから、オフターゲット変異の影響は、生殖系列の遺伝子編集で懸念される安全性上の主要な問題の1つとなっている。

今回の場合、オフターゲット変異の発生率は、マウス胚やヒト成人細胞の遺伝子編集で見られる発生率よりもかなり高かった。またHuangは、今回の研究で調べたゲノム領域はエキソーム(エキソンと呼ばれるタンパク質情報をコードする領域の総体)だけであり、見つかったオフターゲット変異はおそらく一部にすぎない、と論文中で指摘している。「もしゲノム全体の塩基配列を調べていたら、もっと多くのオフターゲット変異が見つかったでしょう」と彼は話す。

Huangは、ヒト胚には他の動物胚とは本質的に異なる何らかの機構があり、余分な変異に対して影響をより受けやすくなっているのではないかとみている。もう1つの可能性(彼によると、この研究に批判的な研究者らが示唆している)は、今回の研究で使った異常受精のヒト胚(2個の精子で受精した卵に由来)ではCRISPR/Cas9系が期待とは異なった働きをしたというものだ。

これらの技術的な課題は、一部の人々からみれば、ヒト生殖系列の改変に関する研究を全て一時停止させるべきだという主張の裏付けとなる。「この論文自体が、以前我々の指摘した類いのデータを全て提供していると思います」と、サンガモ・バイオサイエンス社(米国カリフォルニア州リッチモンド)の社長Edward Lanphierは話す。彼は、Nature誌上でヒト生殖系列のゲノム編集の一時停止を呼びかけたComment2の筆者の1人である。

しかし、ハーバード大学医学系大学院(米国マサチューセッツ州ボストン)の遺伝学者George Churchは、この技術がまだ未熟すぎるという意見に対し異議を唱える。彼によれば、Huangのチームは最新のCRISPR/Cas9手法を使っておらず、もしこれを使っていれば、Huangらが直面した問題の多くは回避もしくは軽減できたのではないかという。

研究界は、ヒト胚の遺伝子編集の倫理や安全性の懸念が解消されるまで、臨床応用を一時停止させる必要があるという点で意見が一致しているが、研究者の多くは、Huangのチームが行ったような研究であれば問題はないと考えている。その理由の1つは、出生に至ることのない異常受精の胚を使ったことだ。「体外受精では、順調に発生できない胚は廃棄されるだけです。この実験は、そうしたことと大差ありません」と、マンチェスター大学(英国)の生命倫理学者John Harrisは話す。彼は、「私には研究の一時停止措置を正当化する理由が何も見つけられません」と付け加えた。一方Churchは、CRISPR/Cas9系を使った最初期の実験の多くは、ヒト人工多能性幹(iPS)細胞を使うことで発展してきたことを指摘する。iPS細胞は、成体細胞を再プログラム化して得られ、精子や卵を含む全ての細胞種に分化できる能力を持っている。それを踏まえると、Huangらの実験には何かもっと本質的な問題があるのではないかと、Churchは疑問を投げかけている。

ヒト胚の遺伝的改変は中国や米国の多くの州で合法である。米国立衛生研究所(NIH;メリーランド州ベセスダ)は、その資金提供ルールの下で、申請があればHuangらの研究に資金を提供していただろうかという質問に対して、「おそらく、そうした研究には資金提供できないという結論を出していただろう」と回答し、同研究所の資金提供ルールを変更する必要があるかどうかを見極めるために、この技術の動向を見守っているところだと述べている。

さらに、北海道大学(札幌市)で生命倫理や研究指針について研究している石井哲也は、Huangのチームが使ったヒト胚は研究のために作製されたのではなく、不妊治療の体外受精により副産物として生じた異常受精胚であり、今回の研究はすでに、他国でも直面するはずの倫理的障害の多くを乗り越えてしまったことになると話す。

今後の歩み

遺伝子編集技術をヒト胚に使えば、臨床応用と直接関係のない基礎科学ではさまざまな疑問に答えることができるだろうと、ハーバード大学医学系大学院の幹細胞生物学者George Daleyは話す。彼は、研究目的でヒト胚の遺伝子編集を体外で行うことを支持している。

例えば、CRISPR/Cas9系を使って発生関連遺伝子を変化させることで、それらの遺伝子の機能解明が進むかもしれない。「ヒトの初期発生に関する疑問の中には、ヒト胚を研究することでしか探れないものがあるのです」とDaleyは言う。

また彼は、胚に存在する特定疾患に関係する変異を操作するのにも、遺伝子編集技術を使えるのではないかと話す。この胚を使って作り出した胚性幹細胞が、疾患を治療するための薬剤その他の試験用モデルとして使えるかもしれないというのだ。

Huangは現在、ヒト成人細胞や動物モデルを使って、オフターゲット変異の数を減らす方法を編み出そうと考えている。

ヒト胚を対象とする遺伝子編集の研究は、今後さらに出てくるだろうと予想されている。「CRISPRはだれでも利用でき、操作も簡単です。そのおかげで、どの国や地域にいようと研究者が望めば、どんな種類の実験でもできる時代になったのです」とLanphierは話す。彼の会社では、体細胞に遺伝子編集技術を使っている。Huangらの研究結果に改善を加えようと、さらに多くの研究者が取り組みを始めているはずだとLanphierは推測する。この分野に詳しい中国の関係筋は、中国では少なくとも4つの研究グループがヒト胚の遺伝子編集研究を進めているという。

遺伝子編集は学術誌にとっても難題だ

ヒト胚の遺伝子編集を報告した1本の論文が議論を巻き起こし、それに伴って、この論文が掲載された過程にも関心が集まっている。

代表執筆者である中山大学(中国広東省広州)のJunjiu Huangによれば、北京に編集部のあるオンライン学術誌Protein & Cellに2015年4月18日付で発表した論文は、その前に投稿したNatureScienceでは受理されず、その理由の一部は倫理的な問題だったという。どちらの学術誌でも査読過程の詳細は部外秘とされているが、ヒト胚の遺伝子編集が両学術誌にとって複雑な問題であることは認めている(Natureでは、Newsチームと研究論文の編集チームは編集権限が独立している)。

「この領域は急速に発展していて問題も込み入っています。我々は、この領域の論文掲載に関する簡単な指針を容易に提示することはできず、またそうすべきではないと考えます」と、Natureの編集ディレクターであるRitu Dhandは話す。Nature Publishing Groupは、この問題に関して「先進的な指針」を構築するために、各方面の専門家に意見を求めているところだという。

一方でScienceは、NatureのNewsチームに以下のように回答した。「私たちは、ゲノム編集の可能性を社会的道徳観という面で捉えるべきだと考えています。また、今後の方向性はコンセンサスを得ながら探っていくべきだと考えています」。

Protein & Cellの編集部は、こうした研究について「警鐘を鳴らす」ために、今回の論文を掲載したのだと述べている。Protein & Cellの編集委員長であるXiaoxue Zhangは、「今回の状況は異例であり、編集部がこの論文を掲載すると決めたからといって、編集部がヒト胚改変を推奨していると捉えるべきではないし、同様の試みを奨励していると受け止めるべきでもない」と、4月28日に掲載された論説で述べている(X. Zhang Protein Cell 6, 313;2015)。また同誌の編集長であるZihe Raoは、「我々はこの問題の倫理について真剣に議論しました。さまざまな意見があるだろうが、議論を始めるためには論文を掲載することが必要だと考えたのです」。

出版元のSpringer社は、今回の研究チームが所属の研究機関から実験の承認を得ていたことや、胚の提供者からの同意書があることを、Protein & Cellの編集部はすでに確認していると述べている。一方、実験を行った研究者らも、この研究がヘルシンキ宣言(ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則)や中国の法規に準拠していることを確認済みという。

今回の論文は、Protein & Cellの審査過程をものすごい速さで通過した。3月30日に投稿され、4月1日には受理されていたのだ。Springer社のある広報担当者によると、この論文はNatureScienceの査読コメントを付けて投稿され、論文はそれらのコメントを参考に修正されていたため、高速審査が実現したのだという。投稿から受理までの2日間にもう一度査読に出されたと、その広報担当者は説明する。

2日間は「十分な長さ」だとRaoは話す。「論文原稿を一度に何人にでもメールで送ることができる時代です。昔とは違うのですよ」。

Daniel Cressey & David Cyranoski

翻訳:船田晶子

Nature ダイジェスト Vol. 12 No. 7

DOI: 10.1038/ndigest.2015.150710

原文

Embryo editing sparks epic debate
  • Nature (2015-04-30) | DOI: 10.1038/520593a
  • David Cyranoski & Sara Reardon

参考文献

  1. Liang, P. et al. Protein Cell 6, 363–372 (2015).
  2. Lanphier, E. et al. Nature 519, 410–411 (2015).
  3. Baltimore, D. et al. Science 348, 36–38 (2015).